期待してるって直接言わないでほしいと願う

仕事
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期待しているよと言われることに対して不快な感情を抱くのは僕だけだろうか。期待をすることは勝手にすればよいけれど、期待をかける本人に伝えることなく胸の内に留めておいて欲しい。

至らない点やこのようにしてほしいといった要望があれば、それをただ伝えてくれればよいのだ。期待しているなんて言ってくれるなよ。期待されて嬉しく感じる人もいるだろうけれど、僕の場合は無性に逃げ出したくなることが多い。

そのように感じる理由について考えてみたい。

期待という言葉に含まれている曖昧さ

期待していると伝えた本人は僕に対して一体どのような成果を求めているのか分かりづらい。具体的にどうしてほしいのか結果に何を求めているのかについて話すわけではないため要領を得ない。

アウトプットのイメージを作業指示者も具体的に持っていないクリエイティブさが求められる仕事ではなおさら指示の抽象度が上がる。

作業の目的ややりたいことを伝えて具体的な作業に言及しないと最終的なアウトプットが指示者のイメージと大きく異なってしまう事態になりかねない。

期待しているよで済ますというのであれば、最終的な成果物がどのようなものであろうと文句を言える立場にはないと思っている。作業の進め方については全て任せますよという宣言に近い。お互いの作業認識を合わせることを放棄しているため実際に作業者も何が求められているか不明なためにアウトプットイメージが曖昧な状態で進めることになる。

それよりかは、少しでも作業イメージを伝えたり、作業途中の段階で認識合わせしたり、方向性の確認、今後に予定している作業などを共有するといった作業の進め方を決めたほうがはるかに有意義だ。

多少の進め方は伝えられたとしても、両者が共通の作業イメージを持っているかは成果物を共有するまで分からない。期待していると伝えられた事によって、作業の途中段階で相談しづらい環境を生み出している。

そして、成果を共有する段にあってイメージとまったく違う成果物が出てきたとか、よく分からず怒られるという経験をした人もいるのではなかろうか。

期待の契約期間

1つ1つの作業には完了すると終わるのだが、期待はその作業が終わってもなお長期的に関わり続ける限り永遠なのだ。

最初は期待に応えられるように頑張るかもしれない。ただ一方的な期待は本人へのプレッシャーとなりそのうち心を疲弊させてしまう。それにいつでも期待に応えられるわけでもない。

期待を満たし続けることに疲れるとあえて応えない行動を取るようになる場合がある。終わることのないプレッシャーを背負い続けるよりもたとえ怒られてでも、プレッシャーから解放される方が精神的に楽だし、それを望むようになる。

期待の受け止め方によるが、能力を活かすことにも繋がれば、逆に呪いのように縛り付けることもあるだろう。

いったい何を求めてる?

仕事や学業などに向き合う本人のやる気を引き出そうとして、期待をかけているのかそれとも自分の思うように他者が動いてくれることを本気で臨んでいるのだろうか。それは発言者にしか分からないだろう。聞いたとしても建前上の答えしか返ってこないだろうし、どちらにしても期待通りの働きを求めている。

期待するってことはその人にとっての理想的な結果を求めているわけですから、せいぜいが合格ラインでほとんど修正を要するか妥協ラインで済ますことになる。時間的な制約と経験から作業指示者の期待を大きく超えた成果をあげるなんてことは極々稀な出来事だろう。仕事では経験が浅いとかプロセスが重視されることは少なく、成果物の良し悪しにほとんど全てがかかっている。

期待は高いし頑張ったことは認められないしで、達成感が得られない。何しろどこで方向性を間違えたのかついぞ分からないのだから、次の機会に活かすことも難しい。そのために同じ過ちを繰り返すことになる。学習できないことによって成果が得られないことは次第に無力感を抱かせるには十分な理由だろう。

新卒で短期離職が増えているのもこの一言が一旦をになっているのではないだろうか。右も左も分からないまま社会に出て、なぜか期待だけは背負わされることに本人の自覚はともかくとして精神的な重荷になっている可能性がある。

他人の期待と自信のやりたいことのギャップ

期待している。この言葉が効力を発揮するのは、送り手と受け手が目標を同じくしている場合だけだ。受け手が心の底からやりたいと思っている物事ではなくて、しぶしぶ将来や生活のために実行していることであれば、その言葉はよい結果をもたらさない可能性が高い。

他人のやる気をコントロールできるという傲慢な考えが期待という言葉に現れるのかもしれない。専門家ではないからよくは知りませんが…あり得るという話です。

期待は伝えるのではなくて、胸の内に秘めておいてくれた方が、お互いにとって上手くいくだろう。期待通りの成果を上げてくれているでよいではないか。もし伝えるにしても期待という言葉ではなく、+αでこれもできると助かるとかいう伝え方の方がよいと感じる。

伝えてしまうと、期待に応えられない、期待を押し付けてくる2者を生み出してしまいその後も仕事を進めるにあたってよい関係を構築していくことが難儀になる。

さいごに

おそらくそこまで深く考えずに発した言葉であって、気軽にした発言であろう。もちろん悪意もない。でも言われたほうは、強制的に契約を交わされることになり、やがて呪いとなる。よく分からないままに期待に応えることのできなかった自身を作り出すことになり自信を喪失する。

せめて何に対する期待なのか明確にして欲しい。そして期待には応えることができないとこちらから言える選択肢がほしい。総じて僕は期待をかけられることが苦手なのであった。

それではっ!

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