頼みごとをするのもされるのもどちらも相手への思いやりが大切だと思う

考え方
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はじめに

こんにちは。ゆうまきです。

仕事で上司から当初のスケジュールが遅れているからとタスクを割り振られた挙句に、日程もかなりタイトになっていて、ものすごーく断りたかったです。進捗が遅れている際に、メンバー変更するなんて通常ありえないだろと文句を言いたくもなります。作業の背景や目的を抑えられていないのですから、キャッチアップするのに時間を要することは避けようがありません。

僕に断るという選択肢はそもそも持ってはいませんが、どうして尻拭いをさせられなきゃならないんだと感じ、少なくとも心よく引き受けようとは思えませんでした。

マネジメントする側にも事情はあるでしょうから、文句を言ったところで何も生まれはしませんが、もう少し現場の実情を鑑みてスケジュールを調整してほしいなと切に願いながら、渋々受けることにしました。

頼みごとをするのもされるのも苦手

昔から人に頼るということが苦手でした。頼みごとの大きさによらず、気まずさや不安を感じるからです。まだ、頼んですらいない状況で想像するだけでも酷く頼ることに対しての抵抗を抱く。

その理由は3つほどあると考えています。

1つ目は、断られることを恐れているからです。他の人でも引き取れるようなレベルの依頼を断られたからといっても、その人の関係性が崩れることは通常ないはずです。拒絶されたことを自身に対する拒絶とまではいかなくとも、頼み事に対する以上に拒絶を大きなものとして受け取ってしまうのです。依頼したことによって、相手からそんな簡単なこともできないのかとかこっちも忙しいのにそんなことで頼んでくれるなとマイナスの感情を自身に向けられることこそを恐れているのかもしれません。

2つ目は、相手の時間を消費させてしまうからです。頼みごとをするということは、自身ではできないという都合のもとに、代わりに物事を実行してもらうことになります。ものの5分、10分で終わるようなことであっても、貴重な相手の時間を貰い労力を割くことを要求します。もちろん、引き受けてくれた人に取っては時間を奪われたとまでは思わない可能性が高いです。それでも借りができた、借りを作ったとはお互いに思うかもしれない。相手が心から協力してくれるという確証があれば依頼しやすいでしょうが、表面上は快く引き取ってくれたと感じても内心でどのように感じているかは分からないです。おまけに自身に都合のいいことであって、相手にとってはメリットがほとんどないという点で申し訳なさを感じます。

3つ目は、相手に承諾するか断るかという選択を強いるためです。承諾した場合は、依頼内容に対する実行責任や機体へのプレッシャーをかけることになります。断る場合でも依頼主からの印象を悪くしてしまったら嫌だなという不快感や罪悪感を与えてしまうことになる。人からの印象は悪いよりも良いほうが確実によく、見知った人に限らず親切な人であると感じてもらいたいという欲求が少なからずあるのだと思います。

承諾するか断るかを瞬時に考えてどうしようかと判断させることによること自体にも意思力を要しストレスとなります。また、承諾はしたけれど冒頭の僕の話のように、本当は受けたくなかったということが考えられます。頼みごとをしたい時には特定の誰かに対して頼むもあれば、誰でもできる内容だからと時間の空いていそうな人に頼む場合もあります。依頼する方はまず最初に内容から伝えるから、依頼された方は依頼主がどのような心持で頼んできているかということが分かりにくいです。そのため、可能であれば手伝って欲しいとか、都合が悪ければ遠慮なく断ってほしいと伝えておくことで断る選択を取りやすくなります。

あとは、依頼内容に対して期待するアウトプットが出てくるかというところでしょう。アウトプットのイメージを伝えていても思うように伝わっていないことがあり、最終的にも自信がイメージするアウトプットに近づくことは合っても100%とはなかなかいかないと思います。あまりにも想定と異なる成果物になると修正する工数が増えてむしろ自分で引き取った方が早かったとなりかねない可能性もあります。何度も修正を依頼したりするとせっかく善意で引き受けてくれた人に負の感情を抱かせてしまい今後の関係性にすら響いてしまうかもしれません。目的を達成することがゴールということを認識し、任せる以上は相手を信頼することも大切になります。

ティッシュ配りでも心揺さぶられる

駅前では宣伝のためにティッシュ配りをしている人を頻繁に見かけます。通勤の時間帯では特に多いですよね。人が1日で意思決定するのに要する力は有限のようです。つまりは夜になるにつれての次第に判断力が低下していくことになるのです。ティッシュを受け取るのは自由ですが、ティッシュを差し出されることによって、受け取るか通り過ぎるかを決断しなければいけません。決断といってもごくごく小さなものですが、確実に意思決定をすることになります。

自分の都合で考えると受け取らない時の方が多いような気がします。朝から考えることも多いというのにこんなことで判断することによって貴重な意思力を消費させないでよと全力で通り過ぎます。意思力を削いで判断力を鈍らせる攻撃だとすら思うこともあります。ティッシュ配りする人に非があるわけではないし言語的なコミュニケーションすら取っていないのに何故あのような思考をしてしまったのかと後悔することになる。おまけ沸点が低くなっているかのように他のことでも機嫌が悪くなってしまいそうになり、良いことはありません。

相手の都合で考えると配り切らないと終われないのかなとか、あまり受け取ってもらえずに精神的にダメージがあるのかなと考えると受け取ることが多い。ティッシュを配っている人がどう思っているかどうかに関係なく、自分自身が助けたんだ、役に立ったと考えていれば、攻撃的な感情を抱くことなく心地よい気分になることができます。

これはティッシュを受け取ることだけでなくて、頼みごとされるとき全般に言えることだと思います。引き受けた時点では役立っていることを認識できないかもしれませんが、少なくとも依頼主の助けになろうとして引き受けたわけですから、めちゃくちゃ助けになっているんだとなるべく思うようにしています。

引き受けたうえで、なんでこんなことを僕がしなきゃいけないんだとマイナス思考にとらわれていては、こちらが損した気分になります。依頼者の頼み方をコントロールできませんし引き受けるしか選択肢がなくとも、役立っていると自身で思い込ませるしかないのです。

ティッシュを受け取るときに毎度このようなことを考えているわけでもないですが、簡単な頼み事を断り荒んだ感情を抱くということはそれほど心に余裕がなくて焦りや疲弊を感じているのだという気付きを得ることができます。

さいごに

最近は短時間で終わるような頼みごとは基本的には受け取るようにしています。判断力を使わずに節約するというのも理由の1つですが結果として引き受けたことによって、配っている方も助かるうえに助けたと思える感情が持続して快適な時間を過ごすせることにも繋がるからです。

僕は依頼内容を説明するための時間すら消費させてしまっていると感じることがあるので、頼む前からいろいろと考えてしまいなかなか頼みごとをするという心理的なハードルが高いです。しかしながら誰かに対して頼みごとをせずに生きていくことも非常に難しいです。どうせ頼むのであれば、相手には快く引き受けて欲しいですよね。

依頼する際には、頼みごとを押し付けるような言い方よりも協力を取り付け一緒に目的のことを達成するために手伝ってほしいと依頼する方が、受ける側も気持ちよく承諾して取り組んでくれることだろうと思います。

それではっ!

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