コミュニケーション能力に難ありだと思っていたけれど、誰かに指摘されたことがあるわけではないと気づいた。そう感じた背景には体調崩した際に人とのかかわりがかなり薄れたことによって、体調回復後は人とのかかわり方を完全に忘れていたことにある。それからというもの人との関わる行為は難易度が高いものでコミュニケーション能力も低いと思い続けていた。怖かったと言ってもいい。
自己評価はコミュ力が低い
自分では口下手でコミュニケーション能力が高いわけではないと常々感じているところではありますが、よくよく考えると関わっている人からコミュニケーション能力について指摘されることはなかった。意思疎通が難しい人に対してコミュ力が低いなんて誰もしないだろうが、僕はむしろある方だとすら褒められることもある。お世辞かもしれませんが、コミュ力をテーマに会話していたわけではないです。
人と初めて会う時には、あいかわらず何を話したらいいか分からないし、話すことないんだよなと悩む。だからこそコミュ力が低いと感じていて、改善するために本を読んだこともある。全く話せないということはないけれど、会話が終わった後に、コミュ力の低さを相手に感づかれ露呈していなかっただろうか、退屈させずに済んだだろうかと心配していた。
でもどうやら主観的な評価と客観的な評価が乖離していることを発見したので、その理由を考えてみた。
ゼロか100かで考えていた
コミュ力をありなしだけで考えていたけれど、ありなしの2元論で測ることは難しく、人の能力にはグラデーションがある。能力は数値化されているわけではないために定量的ではなくて定性的にしか測れません。そして、自信に関する自己評価と他社から見た時の評価はほとんどの場合一致しない。このズレは共通の認識を得るために話し合いをして解決することは非常に難しい。おそらくは無理だろう。だからこそ、2元論に終始してしまい適切な評価は下せなくなる。人に関する評価の良し悪しは、判断する人のこれまで生きてきた経験や価値観に大きく影響されるために、評価者が複数人いれば、それだけの評価が存在することになる。
自身を含め人からの評価が不正確で曖昧ということを知れば、あまり気にしてもしようがないことが分かりますね。
人にどう思われるかが怖かった
人と関わるときに、自分が楽しめるかどうかという観点ではなくて関わった人が楽しめるだろうかということを考えていた。
人との関りが希薄だった機関があるために、自分と関わっても面白味はないのだろうと判断を無意識にしており、積極的にコミュニケーションを取る機会が少なかったです。
楽しい時間を提供できないという理由が関わらない口実だったのかもしれない。本当は他者から嫌われること、マイナスの評価を下されることに必要以上に怯えていたのだと今にしては思う。よほどのことがない限りは、普段の生活で好き嫌いを極端に判断することはない。ここでもゼロか100かで考えていた。
自らを洗脳していた
口下手と思い始めたのはいつ頃だろう。正直なところ全く覚えていない。おそらく発表が上手くできなかったとか、言葉が上手く出てこなくて会話がぎこちなくなったとかきっかけとなる1度の体験があったのでしょう。そしていつしか口下手でコミュ力がないのだと反芻するようになっていた。
自分自身へとコミュ力がないのだと繰り返し言い続けることによって、コミュ力のない自分へと変貌を遂げてしまったように感じます。根拠もあやふやのままに僕にはコミュ力がないのだと自分自身を洗脳状態へと陥れてしまっていた。
さいごに
自分自身の思い込みによって、能力を過小評価していることあるいは過剰に評価していることが今回取り上げたコミュニケーション能力以外にも多くの事柄にも言えるだろうと感じた。自分のことは自分自身が一番知っているつもりでも他者の方がより適切な評価を下せることがある。むしろ他社からの評価の方が正しいことが多いことすらあるかもしれない。主観的評価と客観的評価が異なる際は、バイアスがかかっていないかよくよく疑ってみることだ。
信じている評価は自身の中で繰り返し反芻され強化されていくため、ポジティブな評価を信じてみるとよいだろう。駄目だと思い込むよりもできると思い込む方が明らかによい。
その後の振る舞いが大きく変わり、その結果として人生にすら影響を与えることになるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。少なくとも可能性はある。
人と関わる機会が少なかった当時は、人との新たなつながりが過剰に怖いと感じて避けていたのだと思う。でもその感情は自分だけではなくて誰しも新しい人に声をかけたり関係を築くことは、相手がどのような人か不明なために多少の恐れを感じていることを知った。
自分のことでいっぱいいっぱいだったけれど、相手も同じ感情を多少なりとも抱いていることを認知してからは、相手の感情に意識を向けることができるようになって心の余裕を持つことができるようになった。相手の感じている恐怖を緩和し、助けられると思えば、自信をもって普段通りに振る舞うことができるようになった。
これまでコミュニケーションに関する本も何冊か読んだことがありますが、お互い怖いんですと意識できるようになったことがかなり役立っている。コミュ力低い可能性も捨てきれませんがwww
それではっ!