受験受験の先に市場価値レースが設置される社会になった?

考え方
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受験戦争というワードはもともと1960年代に高校へと進学する人が増えて、それに伴い大学への進学率が増えたことから始まったようです。

以前は高校生が大学へ入るための入試に対してフォーカスが当たっていましたが、だんだんと高校受験、中学受験とより年齢の低い子供の頃から進学校へと進むために勉強をするようになりました。お受験の勉強が目的となって、本来の教育を受けるという目的は失われつつあるのかもしれません。

現在でもその傾向はまだ続いていて、子供の頃に塾に通い中学校受験を経験した人も多いのではないでしょうか。ゆとり世代で受験戦争の世間的な熱は少し冷めたとはいえ僕の周りにも塾に通い中学受験する人は多かったように思います。

子供の頃からよりレベルの高い大学へ入ることでエリートコースを歩むために勉強に時間を費やし、無事に入学することができれば努力が叶い親も自分ごとのように喜んでくれるでしょう。しかしながら、受験勉強を頑張ることで全員が希望する大学に入ることができるわけではなく努力が実らない人も当然出てきます。

よい大学に入れるかどうかが人生のターニングポイントになっていて、将来に大きな影響を受けます。よりよい人生を歩むためには、お受験のための勉強をして一流の大学を出て、高い収入と安定した職につけるというのが社会的な共通認識だったのでしょう。社会が信じる理想的な人生を歩むための関門であり、避けることのできない同級生たちと競争する様子から受験戦争と呼ばれるようになったようです。

勉強漬けの日々とプレッシャーに日常的に晒されていると心身ともに疲弊していることが慢性化してしまい、せっかく受験を乗り越えても解放された嬉しさと目標としていたイベントが過ぎ去った反動で燃え尽き症候群になることがあります。

受験を乗り越えることが、人生のゴールではなくてあくまで通過点です。目標として捉えることも悪いことではありませんが、その先にある未来へと向かうための手段と捉えると受験後もモチベーションを保つことができるだろうと思います。

勉強を頑張る理由も、親に褒められたいからとか叱られてしまうからという期待に応えるためでは外的な動機になるため、自身が勉強の必要性を感じることができなかったり、なぜ勉強しているのかという答えがないとモチベーションが維持できるわけがありません。

内的な動機を持っていれば、勉強意欲の持続や試験が終わっても新たな目標を自ら設定し主体的に物事に取り組んでいくことができます。日本では終始雇用制度が採用されていた背景もあって、受験戦争を通じて就職し定年退職するまで1社で勤め上げるという風土がつくられていました。ただ少子化や経済状況の変化によって、これからの時代はよい大学に入れば一生安泰に過ごせるという社会的な共通認識は既になくなり信じている人の割合は減っている。

インターネットの発達のおかげで会社に雇用されることなく個人のスキルで生計を立てる選択肢を持つことができるようになり、自分の好きなこと得意なことを仕事にしやすくなったといえます。そのような影響を受けた世代は仕事に給料や出世よりもやりがいを持って働くことができるかということを重視する傾向にあります。

せっかくよい大学を経た末に入ったホワイト企業であっても、やりがいを感じれなかったりスキルアップが見込めないと退職代行を利用してすぐに辞めてしまう人もいるようです。昔は会社のために頑張って働いたら日本全体が成長して生活も豊かになると考えられていましたが、現代人はそう考えてはいません。

変化の激しい時代において、企業の寿命は短くなっていますし、転職サービスの普及によって転職する行為が珍しいものではなくなりました。転職のハードルが下がったことによって就職した会社のために頑張って働くことから、どのようなキャリアをどうやって歩むかという個人スキルを伸ばすことに重きを置いて働いている傾向が強くなっているように感じます。

社会人になってからも、セミナーに参加したり新しスキルを勉強しようとする人が増えていることからも言えるでしょう。勉強することが目的になっていて、目標を探し求めていつまでも彷徨っている。受験戦争の呪縛から逃れられていないのかもしれませんね。

大学を卒業しても生き方を決め切ることができずにモラトリアムの期間は今後ますます伸びることになるのではないか。少なくとも僕はずっと悩み迷っています。

個人の技能を上げることも目的の1つだと思いますが、自分の将来を決めきることができずに勉強することで学生気分のまま可能性が無限にまだ開かれていると信じたい欲求がある。特定分野の有名なインフルエンサーのようになりたい、生活を送りたいといった願望が複数個あると1つに絞るのは難しい。これだと自信を持って思えることが見つからないし、複数を選び取り同じレベルに到達するには時間が圧倒的に足りない。snsでは努力や時間をどれだけかけているかが見えないために見落としがちですが、自身が持っているリソースを1点に注いだ結果なのです。努力することは時間がかかるし頑張り続ける必要があるから、できることなら避けたいと考えていて結果だけを求めるようになっている。企業が一人前に働くことのできるまでのキャリアパスを10年単位で提示してもそんな長い間待っていられないとなる。

スキルを身につけて何ものであるか自信を持ちたいのに、やりたいことが見つからないし安泰である確証を得られないから進む道を決められないし時間もかけたくないといった複雑な事情と不安を抱えています。

企業が社員に対してやりがいを持って働くことのできる環境を用意することができれば、働き続けてくれるのか。組織のメンバーの入れ替わりが激しくなると会社への忠誠心や帰属意識は育みにくくなり希薄になるでしょう。明文化されていない仕事の進め方などといった文化や伝統の継承も断片的になる。社員同士で業務時間外の旅行や花見といったレクリエーションが減り、人間性を知るための交流も少なくなってしまいました。ハラスメントが社会問題になっていて、種類も多く世代間のコミュニケーションをさらに難しくしてしまっている。

何か不満があれば、すぐに辞めたり転職できる選択肢を持ち、ハラスメントだと問題として取り上げることがしやすくなり、会社員の立場が強くなってる。これが良くないことだと言うつもりはありませんが、企業の立場よりあまりに社員の立場が強くなってしまうことになれば、社会が成り立たなくなってしまう。

個人のやりがいと成長、他の企業でも活かすことのできるが身についているという実感を持てる様に企業側も柔軟な発想と対応が求められる時代になってきたと言えるでしょう。企業と個人それぞれのニーズでバランスが取れWin-Winの関係を目指すことが大切になります。受験戦争の先には市場価値をどれだけは他の人と比べて伸ばしていけるかというレースへの参加が強制される社会になるかもしれない。

多くの人の生き方や考え方にsnsで触れることによって理想とする働き方や生き方へ影響を受けています。あれもいいこれもいいという状態では前に進むことができなくなってしまうため、一度闇雲に前に進もうとするのではなく、自分にとっての理想とは何かということを立ち止まって、自分なりのゴールを決めてそこへ辿り着くために必要なことできることを考え整理する時間を設けてみてはいかがでしょうか。考え方は年齢とともに変化するためコロコロとやりたいこや気持ちも変わることだってあるでしょうから暫定的なゴールでよいと思っています。

それではっ!

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